2025年4月、トランプがまた世界を揺さぶった。全世界一律10%関税をぶち上げた直後に一部停止。この「揺さぶり→譲歩」のパターンには、ビジネスでも使える交渉の原理原則が詰まっている。
トランプ交渉術の原点|『Art of the Deal』5大原則を図解
トランプの交渉術は思いつきではない。1987年の著書に全部書いてある。しかもその原則は、心理学で裏付けられたものばかりだ。
「Think Big」——まず非常識な要求をぶつける理由
トランプが『The Art of the Deal』で最初に掲げた原則が「Think Big(大きく考えろ)」。
通常では考えられない極端な要求を、交渉の出発点にする。
これ、心理学では「Door in the Face(DITF)」技法として知られている。最初にでかい要求を断らせてから、本命の要求を出す。すると相手は「さっきよりマシだ」と感じて受け入れやすくなる。
Psychology Todayの分析によると、DITF技法は1975年のCialdiniの研究以降、35年間のメタ分析で有効性が確認されている。つまり、トランプは「使えると証明されたテクニック」を大統領レベルで実行しているだけだ。
「Truthful Hyperbole」——誇張は嘘ではないという独自理論
トランプがよく使うもうひとつの武器が「truthful hyperbole(真実の誇張)」という概念だ。
要するに「嘘はついていない。ただ、めちゃくちゃ大きく言っているだけだ」ということ。
たとえば不動産の価値を語るとき、客観的な数字より何割も大きく見せる。でも完全なでっち上げではなく、最も楽観的な見方を堂々と言い切る。相手は「そこまで自信があるなら本当なのかも」と感じてしまう。
ビジネスの場面で言えば、自社のサービスや実績をプレゼンするとき、事実の範囲内で最大限に盛る技術だ。謙遜が美徳の日本人には馴染みにくいが、知っておいて損はない。
累計110万部——なぜ40年前の本が今も読まれるのか
『The Art of the Deal』は1987年の出版から累計約110万部(ハードカバー、CBS News 2016年調査)を売り上げた。
NYタイムズのベストセラーリストには13週連続で1位、計48週もランクインしている。初版は15万部。2018年時点でも印税収入は100万ドル超だ。
40年近く前に書かれた交渉術の本がなぜ今も売れるのか。理由は単純で、書いてあることを著者本人が世界の舞台で実演し続けているからだ。普通のビジネス書にはない「ライブ感」がある。

なぜ相手は折れるのか?心理学が解明した3つのメカニズム
トランプの交渉で相手が譲歩するのは、強引だからではない。人間の認知バイアスを突く構造になっているからだ。ここでは心理学の研究を使って、その仕組みを分解する。
アンカリング効果——最初の数字が全部を支配する
GLOBIS学び放題×知見録の解説によれば、アンカリング効果とは「最初に提示された数字・条件が錨(アンカー)となり、その後の交渉の基準点を支配する心理効果」のことだ。
トランプが極端な初手を打つのは、まさにこれを狙っている。
全世界一律10%関税+中国には最大145%。この数字を最初にドンと出すことで、相手国の頭の中には「145%」がアンカーとして刺さる。
そのあとに「じゃあ15%で手を打とう」と言われたら、どうだろう。冷静に考えれば15%だって大ごとなのに、145%を見た後だと「まだマシか」と感じてしまう。これがアンカリングの威力だ。
マッドマンセオリー——「こいつは何をするかわからない」の破壊力
日経ビジネスが詳しく報じているが、トランプ交渉術の核心にあるのが「マッドマンセオリー(狂人理論)」だ。
元はニクソン大統領がベトナム戦争で使った外交手法で、「あいつは本気で核のボタンを押すかもしれない」と思わせることで相手を交渉のテーブルに引きずり出す戦略。
トランプはこれを経済の舞台でやっている。2025年4月に全世界への関税を発表した直後、一部を90日間停止するという揺さぶりをかけた。第一生命経済研究所のレポートでも、この「発動→一時停止」の動きがマッドマンセオリーの典型例だと分析されている。
「こいつは本当にやるぞ」と思わせたうえで、少し引く。すると相手は安堵して、本来なら飲まない条件を飲んでしまう。
構造化された選択肢——「どっちにする?」の罠
MIT Press Negotiation Journalに掲載されたハーバード研究者の論文では、トランプの交渉スタイルを「観察者・演者・支配者・破壊者」の4つの役割で分析している。
なかでも注目すべきは「構造化された選択肢(structured choice)」という戦術だ。
相手の選択肢をあえて2つに絞り込み、片方を圧倒的に不利に見せることで、自分が推す選択肢を「まだましな方」として選ばせる。
日常のビジネスでもこれは使える。たとえば見積もりを出すとき、「松竹梅」の3プランを用意して本命の「竹」に誘導するのは、同じ原理だ。

実例で検証|関税・NAFTA交渉に見るマッドマンセオリーの成績表
理屈はわかった。では、実際にトランプの交渉術はどんな結果を出しているのか。関税交渉とNAFTA再交渉という2つの大型案件で検証する。
NAFTA再交渉——「完全撤退」をちらつかせて何を勝ち取ったか
Psychology Todayの分析によると、NAFTA再交渉でトランプがまず打った手は「NAFTAからの完全撤退」という脅しだった。
アメリカがNAFTAを抜ければ、カナダとメキシコの経済は大打撃を受ける。この「最悪のシナリオ」を突きつけることで、最大の不確実性を作り出した。
そのあとに出てきた具体的な要求は、「完全撤退」に比べればはるかに穏当に見える。結果として、通常なら拒否されるはずの譲歩をカナダ・メキシコから引き出すことに成功した。
これはアンカリング効果+マッドマンセオリーのコンビネーション。「最悪」を見せてから「まだまし」を提案する、トランプ交渉術の教科書的な展開だ。
日米関税交渉——赤沢大臣が何度も渡米した結末
笹川平和財団(SPF)の報告によれば、日米関税交渉では赤沢亮正担当大臣が複数回渡米し、2025年7月に合意が成立した。
最終的な落としどころは追加関税15%。
最初に「全世界一律10%+日本にも上乗せ」をぶつけたうえで、交渉の結果15%に「下げた」形だ。だが、そもそも追加関税ゼロが出発点だったことを忘れてはいけない。
ゼロだったものが15%になった。トランプ側から見れば、アンカリングは見事に機能したと言えるだろう。
ビジネスに転用するなら——「複数の球」を同時に投げろ
Inc.の記事が紹介している戦術に、「multiple balls in the air(複数の球を同時に空中に保つ)」がある。
交渉テーブルに多数の論点を同時に載せ、本当の優先事項を隠す。相手は「どの球が本命なのか」がわからず混乱し、複数の前線で同時に守りを迫られる。
これは日常の商談でも応用できる。たとえば取引先との条件交渉で、価格・納期・数量・支払いサイトを一度にテーブルに出す。本当に譲れないのは価格だけだとしても、他の論点で「譲歩した感」を演出すれば、本丸を守りやすくなる。
1. Think Big——まず非常識な要求をぶつけてアンカーを打て
2. マッドマンセオリー——「何をするかわからない」と思わせろ
3. 構造化された選択肢——相手の選択肢を絞って本命に誘導しろ
4. 揺さぶり→譲歩——一度引くことで相手の安堵を利用しろ
5. 複数の球——論点を増やして本丸を隠せ




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