昭和生まれなら誰でも覚えがあるはずだ。電車で堂々とタバコを吸い、飲んだ帰りに車を転がし、シートベルトなんて誰もしなかった。今やったら一発アウトの「昭和の常識」を振り返ってみる。
どこでも灰皿!「全員喫煙者」時代の驚きの喫煙率
昭和のピーク時、男の8割以上がタバコを吸っていた。電車も飛行機も病院も、灰皿がないほうが珍しかった時代だ。
男性喫煙率83.7%という「ほぼ全員」の衝撃
国立がん研究センターの統計によると、昭和41年(1966年)の男性喫煙率は83.7%。
これ、10人の男が集まったら8人以上が吸ってるということだ。
吸わないほうが「変わり者」扱いされた時代。会議室も応接間も、天井が黄色く変色するのが当たり前だった。
電車でも飛行機でも病院でも──「禁煙」が存在しなかった
新幹線には喫煙車両があったし、飛行機の座席にも灰皿が埋め込まれていた。
病院の待合室にすら灰皿が置いてあった。今の感覚だと正気を疑うレベルだが、当時は誰も疑問に思わなかった。
職場のデスクで吸いながら仕事をするのが「大人の風景」だった時代だ。隣の人が煙を嫌がっても「窓を開ければいいだろ」で済んでいた。
令和の喫煙率25.6%──約60年で世界が変わった
令和5年(2023年)の男性喫煙率は25.6%。
83.7%から25.6%。約58ポイントもの大暴落だ。
2020年4月には改正健康増進法が全面施行されて、飲食店もオフィスも屋内は原則禁煙になった。あの灰皿だらけの風景は、完全に過去のものになった。

飲んでも乗れた時代から「一発免取」へ──飲酒運転厳罰化の衝撃
昭和時代、「ちょっと飲んだくらいで」は本当に通用していた。飲酒運転の罰則は驚くほど軽く、取り締まりもゆるかった。
「飲んだら乗るな」が通じなかった時代
昭和の飲酒運転事情を知ると、今の感覚では背筋が凍る。
忘年会で散々飲んで、そのまま車で帰る。上司が「おい、お前運転しろ」と酔った部下にキーを渡す。そんな光景が日常だった。
罰則が甘かったのもある。捕まっても罰金を払えば終わり、くらいの空気だった。「飲酒運転は悪いこと」という常識が社会に定着していなかったのだ。
1999年の東名事故が日本を変えた
転機は1999年。東名高速で飲酒トラックが乗用車に追突し、幼い姉妹2人が焼死した事故だ。
内閣府の交通安全白書にも記録されているこの事故を機に、世論は一気に厳罰化へ動いた。
2001年に危険運転致死傷罪が新設。2002年には酒気帯びの基準が呼気0.25mgから0.15mgに引き下げられた。
さらに2007年の道路交通法改正で、車を貸した人、酒を勧めた人、同乗した人まで処罰の対象になった。「知らなかった」は通用しない時代に変わったのだ。
厳罰化で死亡事故は激減──数字が証明する効果
警察庁の統計によれば、飲酒運転による死亡事故率は飲酒なしの約6.9倍。
厳罰化の効果はてきめんだった。2007年の飲酒死亡事故は前年比29%減の434件。翌2008年にはさらに30%減の305件まで落ちた。
法律を変えれば、人の行動は変わる。昭和の「なんとなく許されてた空気」は、法の力で完全に消えた。

シートベルトもチャイルドシートもなし!車の安全が「自己責任」だった昭和
今では考えられないが、シートベルトもチャイルドシートも、昭和の車には「つけなくていいもの」だった。子どもは車内を自由に動き回り、助手席で立ち上がっていた。
シートベルト義務化は意外と最近──一般道は1992年から
警察庁の資料によると、シートベルトの着用義務は1985年に高速道路で開始。一般道は1992年からだ。
つまり、昭和の大半の期間はシートベルトなしで走り回っていたことになる。
助手席でタバコを吸いながら足を組む。後部座席で子どもが寝転がる。それが「普通のドライブ」だった。
チャイルドシート義務化は2000年──子どもは「膝の上」が定位置
チャイルドシートの義務化はさらに遅くて、2000年4月1日から。
MOTAの記事でも振り返られているが、それ以前は子どもをお母さんの膝の上に乗せて助手席に座るのが当たり前だった。
急ブレーキを踏んだらどうなるか。エアバッグが開いたらどうなるか。そんなことは誰も考えていなかった。今思うと恐ろしい話だ。
体罰も水飲み禁止も「根性論」で片付けられた時代
車の話だけではない。昭和の「なんか許されてた」は学校や職場にも蔓延していた。
文部科学省は2013年に体罰禁止の徹底通知を出しているが、昭和の学校では教師のゲンコツやビンタは日常茶飯事だった。「愛のムチ」という言葉で全部正当化されていた。
部活動では「水を飲むとバテる」という謎理論がまかり通り、真夏の炎天下でも水分補給が禁止されていた。今なら確実に熱中症で倒れる。
職場でも上司の怒鳴り声や人格否定が「指導」で済んでいた。パワハラ防止法が中小企業にまで適用されたのは2022年4月。ほんの数年前の話だ。
昭和の常識は、令和では全部アウト。でも、あの時代を生き抜いた我々は確かにそこにいた。「よく生きてたな」と笑い合えるのも、無事に令和を迎えられたからだろう。




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